希望の苗作りをボルネオ全土に伝えたい

 1.タンジュンハラパン村での苗作りでの村おこし

タンジュンプティン国立公園で森林再生等に取り組むFNPFFriends of Natinal Parks Foundation)と共に活動をするタンジュンハラパン村。この村は、村の名前のとおり希望(=ハラパン)の村だ。この村での取り組みは、これまでもウータン森の通信93号、94号、97号、99号で紹介してきた。今回、20112月に再度この村を訪れたので、村おこしのためのさまざまな取組の最新情報を紹介する。

 

(1) 植林のための苗木づくり 

 村には「SEKONYER LESTARI(持続可能なスコニョール川)」という名前の苗木づくりのための協同組合がある(ウータン森の通信97号)。2009年初めに村の有志20人ほどでつくられた。20103月には、村の若者により、新たに同じ目的の協同組合がつくられた。今回、その後どうなったかを尋ねたところ、協同組合は1つの方がやりやすいとのことで、20109月に合体して1つとなっていた。また、1年前リーダーだったトッフィーが政府の役人となり、ルスタムが新たなリーダーとして選出されていた。数人のメンバーチェンジがあったものの、以前と同じ20人ほどで運営されていた。

2010年に植林されたブグル地区の苗 

 

 そもそも、植林のための苗木づくりは、FNPFの活動であった。以前は、FNPFは苗木を誰にでも無料であげていた。しかし、FNPFのリーダーであるバスキはこれを村おこしに使えないかと思い立った。同時に村人たちも苗木づくりに興味を持ち始めた頃だったので、村で苗木づくりの協同組合が立ち上がったというわけだ。

 20103月、ウータンがこの協同組合から4,000,000ルピア(約4万円)で購入した1ha分の苗木(植林作業と3年間の管理費含む)は、国立公園内のブグル地区の乾燥土エリアで元気に育っていた。実はこれがこの協同組合が初めて自分たちだけでやり遂げた植林事業だ。植林された苗木は全部で9種類(ニャトウ、アガチス、マンギスフタン、スンディ、アマン、マダン、バランエラン、パポン、ジャリン)。すべて村人のチョイスだ。

苗床に水やりをする協同組合員 

 

 そして現在、この協同組合はブグル地区とパダンスンビラン地区の境界付近で苗木づくりに取り組んでいる。FNPFでは、ボーイング社からの助成金により、このエリアに2011年から3年間で40haの植林をする計画があるからだ。ここには4種類(パポン、バランエラン、ウバールプティ、プライ)の苗木が約16,000個ある。

 今回、私たちはこの苗床に訪れた。組合員は、この苗床に着くやいなや、一斉に苗木の周りに生えた雑草を黙々と取り始めた。そして、近くの水たまりからポンプで水をくみ上げ、丁寧に苗木へ水やりをしていた。水やりは13日に1回の頻度で行っている。ちなみに、この水やり用ポンプは2年前にウータンが寄付したものだ。

 組合員の給料は150,000ルピア(約500円)。働いた日数分の給料が支払われる。休みは金曜日。管理はすべて組合員のハットマットの仕事だ。

 組合員のエムジャイに苗木づくりの協同組合についてどう思うか聞いてみた。1番のメリットは、安定した一定の収入が得られるようになったことだそうだ。「以前は農業をメインにし、時々、日雇いで建物の修理の仕事をしていた。天候等によりお米が不作だった場合、以前は食べる物がなくて困っていた。今は協同組合から一定の収入があるので、不作の場合でも街からお米を買うことができる。建物の修理の仕事は175,000(約750円)の収入が得られ、協同組合からの給料よりも高いが、毎日仕事があるわけではないので、毎日働ける協同組合はありがたい。」エムジャイは自分の村が好きで、自分の村から離れたくなかったから、パーム油プランテーションで働くことは選択肢になかったそうだ。

 組合員のマルサットへも同じ質問をしてみた。協同組合を運営することで皆の心が1つになれたと。

家のそばの苗床 

 

 ジャワ島から採鉱のためにこの村にやって来た組合員のスカリ。採鉱の仕事はキツかったので、採鉱の仕事は辞めて、他の村人と同様、農業をメインにしていた。現在は、協同組合での苗木づくり以外に、自分の家の前で2,500個のガハル(香木の1種)の苗木を育てている。

苗床づくりを始めたばかりのリア

 

 村を歩いてみると、スカリのように多くの家の前に苗床があった。1年前はなかったのに! これは、村人たちが「苗木づくりはビジネスになる」と思っている証拠に思えた。苗木づくりは、組合員だけでなく、女性にも広がっていた。FNPFスタッフのアルバインの妻、リアもその1人。最近苗木づくりを始めたばかりで、まだ売ったことはない。今までは子育て・家事以外に家ですることがなかったが、苗木づくりはその合間にできるからいいと。

 1年前と比べて、明らかに村での苗木づくりが盛んになっていた。FNPFのバスキは、この協同組合がFNPFから独立し、自分たちだけで運営していけることを目指している。現在は、少しずつノウハウを協同組合に移転しているところだ。今回、1年ぶりに村を訪れてみてその着実な1歩を体感することができた。