子どもたちのメッセージとウータンのこれから

 

 

 

タンジュンプティン国立公園の外側に棲息するオランウータンの聞き取りを行った。ここ数年、セコニャール川の上に向かって左川、すなわち国立公園の外側で 親子連れのオランウータンを数回みかけている。違法伐採が終わり、オランウータンが戻ってきた兆候かと期待したが、結果は最悪なものだった。バスキによる とこの5ヶ月、国立公園外でオランウータンは見ていない。おそらく、プランテーション会社の人間に殺されたと見ている。

なぜなら3ヶ月前にFNPFのアルバインとアドゥが、プランテーションの運河から流れてきたとみられるオランウータンの死体を川で発見したからだ。

 

かつてウータンでは、インドネシアNGOと共に違法伐採問題に取り組んできて一定の成果をあげた。現在、国立公園の中にあるスンガイブルクチルなどではかつての違法伐採は無く、国立公園内ではたしかにオランウータンは戻ってきている。

 

バスキは言う。たしかに違法伐採はほとんど無くなった。しかし、問題はより深刻になっている。アブラヤシプランテーションなどの開発が認められる国立公園 外では、どんどん森が無くなっており、オランウータンはほとんど生き残れない状況だ。ウータンはパームオイルとマイニングにフォーカスすべきだ、と。

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パームオイルの問題はどんどん拡大しており、ほとんどのNGOにとっても大きなイシューだ。RSPO(持続可能なパームオイルのための円卓会議)という認 証機関は出来たものの、バスキによるとRSPOを取得していても遵守せずに紛争を起こしている企業がたくさんある。現に、セコニャール川沿いの企業も RSPOを取得しているのだ(BW Plantations)。バスキはRSPOを企業のPRのためのCSRとして信用してない。また、BOSFはBCLというプランテーション会社から、 OFIはシナルマスやAPPなどの会社から援助を受けていることに対しても理解ができないという。(もっともバスキの見解は、やや視野狭窄なきらいはある が。)

 

タンジュンハラパン村では、ここ数年、たびたびプランテーション企業に対してデモを起こしている。プランテーションが村の土地境界線へ入ってきているとい う理由だ。最近のデモにはエコツーリズムで訪れたオランダ人も参加し、インドネシア語で一緒に抗議してくれたらしい。

 

また、僕が訪れた2012年の5月にはプランテーションの従業員によるデモが行われていた。待遇の悪さに対するデモらしく、計画にあたってはバスキにアドバイスを求めてきたらしい。

 

 

FNPFと村人は、森とプランテーションの境にあるジュルンブンというところでアグロフォレストリー(森林農法)などの実践を行っており、ウータンはプラ ンテーションの見張り小屋の建設を依頼している。別で述べるが、ここも含めた国立公園の外側では、ウェットランドインターナショナルの支援で森林再生を広 く行う予定になっている。まさにオランウータンをはじめとした野生生物の生死をかけたプロジェクトがここでは進行している。

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タンジュンハラパン村の村人とFNPFは、デモなどの抗議活動だけではなく、子どもに森の大切さを教える環境教育も実践している。タンジュンプティン国立 公園の外側には、タンジュンハラパン村以外に2つの村があり、ひとつは村人全員がプランテーションで働いているBadaun村(タンジュンハラパン村の中 学生はこの村の中学校へ通っている)と多くが働いているSekorang村がある。数ヶ月前には、Sekorang村からタンジュンハラパン村へ小学生が やってきて、一緒に環境教育をしたという。この村の子どもたちの親の多くはプランテーションで働いているはずだが、今では子どもたち全員が森が大好きでプ ランテーションが嫌いになっている(!)とバスキはうれしそうに言っていた・・

 

 

写真を見ると、観たことのある光景が。これはウータンのメンバー高阪さんが、かつてマレーシアで青年海外協力隊の隊員として環境教育の実践プロジェクトへ 参加した時に考えたワークショップだ。新聞紙を森に見立てて、そこに動物に扮した子どもたちが乗っかっている。プランテーションの拡大とともに森は減って いき、子どもたちは足場(棲家)を失っていく・・ 3年前に彼女がFNPFのメンバーに教え、一緒にやったワークショップを活用しているという知らせは人事ながら感無量であった。

 

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聖賢小学校でゲストティーチャーとして話をした時に、生徒がタンジュンハラパン村の子どもたちにメッセージをくれた。「パームオイルと私たちの生活」を テーマに村の小学生のユニちゃんへ手紙として書いてくれた。アドゥが村の子どもたちをFNPFが村人から購入した家(FNPFはここを子どもたちの活動拠 点として自由に壁に絵を書かせたり、使わせようとしている。数ヵ月後どうなってるか想像もつかないが・・)に集めてくれ、僕からメッセージを紹介した。 テーマが少し難しく、やや伝わりづらい気もしたが、その晩に同じ場所に集まり、子どもたちが日本の子どもたちに向けてメッセージを書いてくれた。

 

 

 

そのうちのひとつを紹介したい。

 

 

「Desa sungai sekonyer」 MELLY SUSI LOWATI  

(*Desa sungai sekonyerはタンジュンハラパン村の正式名称)

 

Hallo, teman-teman nama saya Melly.

Saya ingin menceritakan tentang kelapa sawit.

Orang-orang menebang pohon karena untuk menanam kelapa sawit.

Akibatnya desa menjadi banjir,

tanah menjadi long sor dan hewan-hewan hampir punah.

Desa sungai sekonyer menjadi banjir banjir karena orang-orang suka menanam kelapa sawit.

Orang utan hampir punah dan orang luar tidak bisa melihat orang utan.

 

こんにちは、私の友人は私の名前は メリーです。

私は、パーム油についてお話したいと思います。

人々は、パーム油を採るためのアブラヤシを植えるために木を切り倒しました。

また、セコニャール川が氾濫し、村が浸水したり、土壌浸食が起こりました。

その結果、動物が絶滅しそうで、いまではオランウータンを見ることが少なくなりました。

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メリは父親がプランテーションで働いている。

 

子どもは現実を写す鏡だ。時には大人たちよりも真実を語ってくれる。

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アドゥが笑いながら言った。「ジャカルタの子どもがこの村に来てもサバイバルできないんじゃないかな」。「学校から帰ると、水を汲んで洗濯をする。その 後、牛のえさを刈りに行く。みんな働き者だ。」。僕が「たぶん、日本だってそうだったはずだ。おばあちゃんやおじいちゃんの時代は」というとバスキがこう 返した。「たぶんそうだろう。それは知っている。おしんで観たから」。インドネシア人はみんなおしんの大ファンなのだ。

 

僕はおしんの時代から日本が進歩したとはきくが、いったい進歩がなにを指すのかさっぱりわからない。森と生き物と伝統的な暮らしを破壊することが人間の進 歩なのか。子どもたちが平和に暮らせる社会は一つの指針かもしれない。村の子どもは、あまり衛生的でなく、安全といえない場所で遊びまわっている。だが、 危険な目にあった話を聞いたことが無い。僕の耳に入ってくるのは、衛生的で親が子どもの怪我しそうな場所でけっして遊ばせはしないが、暴走する車にひかれ てしまった日本の子どものニュースだ。(2012年の前半は特に交通事故のニュースが多かった。暴力的なマシンに弱いものが押しつぶされる)

 

日本の子どもたちとこの村の子どもたちが幸せに暮らせる社会をめざしてウータンも活動していかなくてはいけない。