ブグルからパダンセンビランへ-国立公園の森をつなぐ

 

FNPF ではかねてからタンジュンプティン国立公園内での植林活動を進めており、それは村人の苗作りと連動して行われている。数年前に、村人が、国立公園内の森か ら種を拾ってきて苗にして、それをNGO、地方政府、企業に売るシステムを完成させた。FNPFは彼らの苗を買い取り、植林を行ってきた(ウータン・森と 生活を考える会も彼らの苗を買い、植林をFNPFに依頼してきた経緯がある。)

 

ブグルは国立公園の中だが、たびたびの山火 事で森がないので再生させようとしているオープンエリア(森のない場所)。ただ、植物はたくさん生えているので、僕が「ここは森でないか?」と聞くと、 「ここはぜんぜん森じゃない。大きな木も生えていない」と笑いながらバスキが答えた。FNPFはブグルから国立公園の外側へも及ぶパダンスンビランまでを 植林で森をつなげようとしている。ブグルーでは、かつて120ヘクタールをFNPFが植林し終わって、さらに40ヘクタールの植林を終えチェック中、今は そこからさらに40ヘクタールのパダンスンビランを植林中で、僕もそこへ訪れた。時にはひざまで濡れる足場を茂みを切り込みながら植林するヘビーなエリア だ。

   

FNPFは、このブグルーパダンスンビランのエリアにボーイング社から今年も3年間40ヘクタールの植林と管理を条件として、400millionルピー(400万円)の支援を受けている。

 

村人はsekonyer restariという苗作りグループを作って、売り上げを管理し、一人1日あたり5万ルピーほどを振り分けていただが、現在は7万―8万ルピーくらいだという。

バスキは村人を信用してボーイングの助成から200millionルピーをすでに渡して、彼らに管理をさせている。これがバスキ流だ。

 

国際協力のこつは?バスキに聞くとずばり答えが返ってくる。

 

信用、信頼、フレンドリー Belief,Trust,Friendly

時々、きつく bold(大胆、露骨、臆面なく)

 

1年間は友達になることに時間を使う。

そして一緒にやってみる。

その次にやってもらう。

 

お金では決して続かない。

 

バスキは常にいう。自分は先生ではない。よい芽を育てているだけだ、と。それこそが優秀なファシリテーターの条件であることは間違いがない。

 

タンジュンハラパン村の苗グループの新たな挑戦 ジュルンブン

 

パー ムオイルを採るためのアブラヤシプランテーションと隣接するタンジュンハラパン村では、ここ最近、プランテーション会社とのコンフリクトが続いており、時 に村人によるデモンストレーションが行われています。原因はプランテーションが村の境界線を越えて、入ってきていることです。コンフリクトは村人だけでは なく、僕が訪れた時には従業員による雇用を良くするためのデモが行われていました。実は、バスキさんがアドバイスしたそうです。また、2週間前にエコツー リズムで来たオランダの青年は村人と従業員と共にインドネシア語で話し合ったとのこと。

 

ジュルンブンはプランテーションと村の境界でFNPFと村人が土地を購入し、アグロフォレストリー(森林農法)などの持続可能なプロジェクトを進めている場所です。

   

僕 が苗作り冊子の意見を求めにバスキとボゴールをまわった時に、ホームステイしたニョマンさん(ウェットランド・インターナショナル・インドネシア事務局 長)が、バスキにある依頼をしていた。(僕は後から知ったのだが)。ジュルンブンでのリフォレストレーション(森林再生)をウェットランドが村人にプロ ジェクト委託するというものだ。

 

僕が村へ滞在したとき、ちょうどその話を村人としていた。「新しくグループを作ることにした。もっともセコニャールレスタリのメンバーが全員入っているけど」。このプロジェクトは、いままでのように苗作りをして、それをFNPFなどのNGOに売るのではなく、

 

概要はこうだ。ジュルンブンには村人が持っている土地がある(多くは約1haほど)。そこに1ヘクタール当たり1000個の苗を植える。ウェットランドは彼らにそのための援助をする。成功すれば、援助したお金は返さなくてもいい。失敗すれば返してもらう。

村人にとっては、成功すればただで インセンティブになる。最初から援助ありきで任せるとたいてい失敗する(日本のJICAなどはよく失敗している)。この話は以前、ニョマンの家に泊まったときに彼が語ってくれたものだ。

 

僕も参加した話し合いで、新しいグループの名前が 「Karya Mandiri Sekonyer 」、リーダーがエムジャイスさんに決まりました。

 

 ま た、このプロジェクトはジュルンブンだけにとどまるものではなく、タンジュンプティン国立公園の外側も含むものです。外側のプランテーション拡大やマイニ ングによる環境破壊は深刻で、森林再生が求められます。また、ウェットランドはマングローブに関する 国立公園の外側を囲む海まで広げられる可能性があり ます。実は5年前からバスキさんの中でも構想があったそうですが、現実的に費用や人件に関して実現に至りませんでした。今回、大きなプロジェクトが委託さ れることで、手をつけることができました。手始めにバスキさんは、ジュルンブンにトレーニングセンターや環境教育施設、消防の基地、またジェンダーに関す ることまで幅広くしたいとのことです。この考えにはニョマンさんも同意で、複合的にアプローチすることを指摘しています。

 

ウータンでは昨年から、この場所に、オランウータンの確認および、アブラヤシプランテーションの拡大の見張り小屋を作ることを考えて、今回ハドランさんにお願いしました。うまくバスキの案と絡められることが望まれます。

 

ジュルンブンおよび、国立公園の外側での動きがどうなるか。

新しい挑戦から目が離せません。

 

  

 

森林再生への新たな挑戦 ラマンドー 緑の回廊

 

僕にとって1年ぶりに訪れるラマンドーで動きがあった。FNPFの新たな挑戦の土地、ラマンドー・ネイチャー・レシーブ(ラマンドーは地域の名称だとのこ と)は、その名前と裏腹に、たびたびの火事に見舞われ(西岡さんと前川さんが8月に訪れた時にまさに火事がおきた)小さい森が点在しているものの、大半は 乾燥していくつかの草以外は生えない荒廃した土地である。2年ほど前にバスキに公園管理者から依頼があり、FNPFがここに森を復活させようとしている。

   

 

バ スキは、小さな森を繫いで、グリーンコリドー(緑の回廊)を作る計画をした。今、取り組んでいる回廊は幅が30Mで3Mおきに(つまり10本)の苗を 2KMの長さにやはり3Mごとに植えていくというものだ。本当は2Mごとにしたいらしいのだが、人手を考えるときびしいという。この回廊の役割の一つは、 動物が移動できるようになるということ。もう一つは、ここをグリーンベルト、すなわち火事が広がるのを守るようにしたい。植える木は9種類。・・ 特に Balangaran,Pelawan、Ubarの3種を中心に植える。タンジュンプティンと違うのは、この乾燥した土地で育つにはそれに適した苗を選ば なくてはならない。

   

 

植 え方は、まずロープと木で図った3Mおきに苗をおいていき、そこに鍬で小さい穴をほる。そこに苗を置き、周りの草の生えている部分の黒土を掘り、かぶせ る。草の生えている土は栄養がある可能性が高く、草をかぶせることで自然の肥料の役割がある。苗の周りが壕になるように彫ることが望ましい。ここに水がた まるからだ。一番の課題は火事だ。消火器のようなものが欲しいがお金がかかる。また豚がえさとなる小動物を探す際に土を掘り起こしてしまうという問題があ り、いくつかの苗は被害にあっていた。

 

 

さ て、大きな動きのもう一つは、僕が訪れた時に、この地区のそばにあるSungai.Paser(sandの意味)スンガイパサール村の若者が10人ほど植 林に参加していたことだ。パサール村は、ハラパン村の10倍の1000家族ほどが住んでいる比較的大きな村で。最近、新しい村長が選出された。漁業が中 心。プランテーションはない。(まだ、だが)。

 

ジョークが好きな明るい村人らしく、僕が訪れた時もわいわい楽しそうにやっ ていた。聞けば、以前バスキが体調が悪かったときにハドランたちがヘルプで呼んできたらしい。このプロジェクトに興味があるようだ。3日前から約2週間ほ ど予定。FNPFは彼らに1日50.000RPを支払っている(食費などを入れると70,000RPくらいの経費がかかる)。彼らの多くは漁民だが、ちょ うど魚を育てている時期で時間があるという。他のNGOが支払う額より安く、彼らの月収と比較するといい額とはいえないと思うが、上記のようにプロジェク トそのものを楽しんでいる印象がある。しかし・・、お金はよい手段ではないとバスキはいう。お金でプロジェクトを動かそうとするのは将来における大きなミ ステイクである。ほとんどのNGOが、森林再生に多額のお金を使う。時には10億ルピー(約1千万円)も。しかしうまくいかない。ほとんどは職員のサラ リーに消えていく。FNPFは村人に対してお金をかける。彼らのアクティビティを後押しする。バスキはゆくゆくは、ハラパン村のように彼らにグループを 作ってほしい。そして苗を売ったり、植林をすることが収入につながり、彼ら自身がそれをマネージメントすることが理想である。

 

僕 にはそれが可能だと思う。彼らは非常に植林に熱心であり、話し合い解決する能力を持っている。和気藹々と、だが勤勉に植林を続けている。タンジュンハラパ ン村から遠いこの土地に村人が来ることはコストもかかり、苗を運ぶこともできない。はじめから、この土地を森に再生させるには、となりの村人がキーになる と思っていたが、早くもバスキはそのきっかけをつくっていたからびっくりだ。

   

 

FNPF は今年、BOING社から3年間のケアを条件に400millionルピー(約400万円)の植林用のドネーションを得た。これはラマンドーにも使える。また、オーストラリア のTarungaZOOからの寄付で、2つのコンポストマシーン、モーターサイクル、トラクター、ビデオカメラを買うことができた。SIEES、日本のEco-future-fundからも援助があり、これは使いやすく有益である。使える資金は増えてきた。バスキは言 う、必要なのは、プログレッシブであると。

 

さて、以上の村人のかかわりとプログレッシブが必要となった時、ちょうどウータ ンが作ろうとしている植林冊子のことがある。新しく村人に長期的に関わってもらうチャンスにアレックスのイラストでの植林冊子は動機付けとして、とても有 効だろうとバスキも同意した。動機付けといえば、ウータンメンバーはエコツアーメンバーがたびたびこの土地を訪れ一緒に村人やFNPFと植林をすることは 非常にいい影響を与える(ボーイング社は好きにしてくれというが一度も来た事がないという)他のファンドにはないウータンならではの関わり方、プログレッ シブを実践していかなくてはならない。

 

ラマンドーにパサール村の人々が常駐し、植林を続ける。そこにウータンからもメン バーがいったり、エコツアーで植林グループがいくのも面白いだろう。荒廃したこの土地にまた一つの夢が生まれた。ここが10年後、20年後、森になってい ることを想像するととても楽しい。想像は夢を生む。だが、それは夢ではなく、おそらく現実となるであろう。

 

 

 

子どもたちのメッセージとウータンのこれから

 

  タンジュンプティン国立公園の外側に棲息するオランウータンの聞き取りを行った。ここ数年、セコニャール川の上に向かって左川、すなわち国立公園の外側で親子連れのオランウータンを数回みかけている。違法伐採が終わり、オランウータンが戻ってきた兆候かと期待したが、結果は最悪なものだった。バスキによるとこの5ヶ月、国立公園外でオランウータンは見ていない。おそらく、プランテーション会社の人間に殺されたと見ている。

なぜなら3ヶ月前にFNPFのアルバインとアドゥが、プランテーションの運河から流れてきたとみられるオランウータンの死体を川で発見したからだ。

 

かつてウータンでは、インドネシアNGOと共に違法伐採問題に取り組んできて一定の成果をあげた。現在、国立公園の中にあるスンガイブルクチルなどではかつての違法伐採は無く、国立公園内ではたしかにオランウータンは戻ってきている。

 

バスキは言う。たしかに違法伐採はほとんど無くなった。しかし、問題はより深刻になっている。アブラヤシプランテーションなどの開発が認められる国立公園外では、どんどん森が無くなっており、オランウータンはほとんど生き残れない状況だ。ウータンはパームオイルとマイニングにフォーカスすべきだ、と。

 

 

パームオイルの問題はどんどん拡大しており、ほとんどのNGOにとっても大きなイシューだ。RSPO(持続可能なパームオイルのための円卓会議)という認証機関は出来たものの、バスキによるとRSPOを取得していても遵守せずに紛争を起こしている企業がたくさんある。現に、セコニャール川沿いの企業もRSPOを取得しているのだ(BW Plantations)。バスキはRSPOを企業のPRのためのCSRとして信用してない。また、BOSFはBCLというプランテーション会社から、OFIはシナルマスやAPPなどの会社から援助を受けていることに対しても理解ができないという。(もっともバスキの見解は、やや視野狭窄なきらいはあるが。)

 

タンジュンハラパン村では、ここ数年、たびたびプランテーション企業に対してデモを起こしている。プランテーションが村の土地境界線へ入ってきているという理由だ。最近のデモにはエコツーリズムで訪れたオランダ人も参加し、インドネシア語で一緒に抗議してくれたらしい。

 

また、僕が訪れた2012年の5月にはプランテーションの従業員によるデモが行われていた。待遇の悪さに対するデモらしく、計画にあたってはバスキにアドバイスを求めてきたらしい。

 

 

FNPFと村人は、森とプランテーションの境にあるジュルンブンというところでアグロフォレストリー(森林農法)などの実践を行っており、ウータンはプランテーションの見張り小屋の建設を依頼している。別で述べるが、ここも含めた国立公園の外側では、ウェットランドインターナショナルの支援で森林再生を広く行う予定になっている。まさにオランウータンをはじめとした野生生物の生死をかけたプロジェクトがここでは進行している。

 

 

タンジュンハラパン村の村人とFNPFは、デモなどの抗議活動だけではなく、子どもに森の大切さを教える環境教育も実践している。タンジュンプティン国立公園の外側には、タンジュンハラパン村以外に2つの村があり、ひとつは村人全員がプランテーションで働いているBadaun村(タンジュンハラパン村の中学生はこの村の中学校へ通っている)と多くが働いているSekorang村がある。数ヶ月前には、Sekorang村からタンジュンハラパン村へ小学生がやってきて、一緒に環境教育をしたという。この村の子どもたちの親の多くはプランテーションで働いているはずだが、今では子どもたち全員が森が大好きでプランテーションが嫌いになっている(!)とバスキはうれしそうに言っていた・・

 

写真を見ると、観たことのある光景が。これはウータンのメンバー高阪さんが、かつてマレーシアで青年海外協力隊の隊員として環境教育の実践プロジェクトへ参加した時に考えたワークショップだ。新聞紙を森に見立てて、そこに動物に扮した子どもたちが乗っかっている。プランテーションの拡大とともに森は減っていき、子どもたちは足場(棲家)を失っていく・・ 3年前に彼女がFNPFのメンバーに教え、一緒にやったワークショップを活用しているという知らせは人事ながら感無量であった。

 

  

聖賢小学校でゲストティーチャーとして話をした時に、生徒がタンジュンハラパン村の子どもたちにメッセージをくれた。「パームオイルと私たちの生活」をテーマに村の小学生のユニちゃんへ手紙として書いてくれた。アドゥが村の子どもたちをFNPFが村人から購入した家(FNPFはここを子どもたちの活動拠点として自由に壁に絵を書かせたり、使わせようとしている。数ヵ月後どうなってるか想像もつかないが・・)に集めてくれ、僕からメッセージを紹介した。テーマが少し難しく、やや伝わりづらい気もしたが、その晩に同じ場所に集まり、子どもたちが日本の子どもたちに向けてメッセージを書いてくれた。

 

そのうちのひとつを紹介したい。

   

 

「Desa sungai sekonyer」 MELLY SUSI LOWATI  

(*Desa sungai sekonyerはタンジュンハラパン村の正式名称)

 

Hallo, teman-teman nama saya Melly.

Saya ingin menceritakan tentang kelapa sawit.

Orang-orang menebang pohon karena untuk menanam kelapa sawit.

Akibatnya desa menjadi banjir,

tanah menjadi long sor dan hewan-hewan hampir punah.

Desa sungai sekonyer menjadi banjir banjir karena orang-orang suka menanam kelapa sawit.

Orang utan hampir punah dan orang luar tidak bisa melihat orang utan.

 

「こんにちは、私の友人は私の名前は メリーです。

私は、パーム油についてお話したいと思います。

人々は、パーム油を採るためのアブラヤシを植えるために木を切り倒しました。

また、セコニャール川が氾濫し、村が浸水したり、土壌浸食が起こりました。

その結果、動物が絶滅しそうで、いまではオランウータンを見ることが少なくなりました。」

 

メリは父親がプランテーションで働いている。

 

子どもは現実を写す鏡だ。時には大人たちよりも真実を語ってくれる。

 

アドゥが笑いながら言った。「ジャカルタの子どもがこの村に来てもサバイバルできないんじゃないかな」。「学校から帰ると、水を汲んで洗濯をする。その後、牛のえさを刈りに行く。みんな働き者だ。」。僕が「たぶん、日本だってそうだったはずだ。おばあちゃんやおじいちゃんの時代は」というとバスキがこう返した。「たぶんそうだろう。それは知っている。おしんで観たから」。インドネシア人はみんなおしんの大ファンなのだ。

 

僕はおしんの時代から日本が進歩したとはきくが、いったい進歩がなにを指すのかさっぱりわからない。森と生き物と伝統的な暮らしを破壊することが人間の進歩なのか。子どもたちが平和に暮らせる社会は一つの指針かもしれない。村の子どもは、あまり衛生的でなく、安全といえない場所で遊びまわっている。だが、危険な目にあった話を聞いたことが無い。僕の耳に入ってくるのは、衛生的で親が子どもの怪我しそうな場所でけっして遊ばせはしないが、暴走する車にひかれてしまった日本の子どものニュースだ。(2012年の前半は特に交通事故のニュースが多かった。暴力的なマシンに弱いものが押しつぶされる)

 

日本の子どもたちとこの村の子どもたちが幸せに暮らせる社会をめざしてウータンも活動していかなくてはいけない。